はじめに
量子コンピュータという言葉はご存知でしょうか。
現代の電子回路で組まれたコンピュータとは、ハード面から異なる構造を持つコンピュータです。この量子コンピュータは現在のコンピュータに比べ圧倒的な計算速度を持つとされており、最適化や機械学習の分野でも注目されています。
量子コンピュータが一体何者なのかを知るために、まずは量子論の基礎をおさらいしておきます。
量子論
量子論の難しさ
量子論はまともに学ぶととてつもなく難しい理論です。理解をするためには数学の壁と概念の壁があり、数学の壁は物理のあらゆる分野で現れるもので、半ば諦めがつくところでしょう。
しかし、特に量子論では概念の壁が非常に険しくそびえ立っており、この部分で物理学者の多くが苦しみました。今回は数学の壁にはぶち当たらないように気をつけながら、概念の壁を乗り越えることを目標にします。
概念の壁を乗り越えれば、量子コンピュータが一体どのようなことをしようとしているものなのかを、ぼやっとではありますが掴むことができるかと思います。
量子論の始まり
まず、量子論というのは必要に迫られて生まれてきたものです。
物理学はいつでも現象を少数の本質的な法則で説明しようとしてきました。それが従来の物理学(古典物理学)ではできなくなったため、新たな物理学を構成する必要があったのです。それが量子物理学であり、通常は現代物理学とは量子物理学のことを指します。
まずは古典物理学の代表格である力学と電磁気学をサラッとおさらいします。
力学の誕生
力学では運動方程式を用いて物体の振る舞いの時間的な発展を完璧に予測します。
力学が誕生する以前は、「物体に力が加わっているから速度を持つ」と考えられていましたが、実際には物体には何も力が加わらなくとも動き続けるということが起こります(等速直線運動)。そしてその運動を止めるために力が必要なのです。逆に止まっている物体を動かすときに力が必要なのであって、一度動き始めたら、その後は動き続けます。
すなわちまとめれば「物体に力が加わると加速度が生じる」のです。加速度の生じ方は物体によって異なっており、その係数を質量と呼ぶことにしました。有名な運動方程式
は、そのことを数式で表現したものであり、これに更に作用反作用の法則と慣性の法則が加わって古典力学を形成します。たった3つ法則で現象を解析するのは恐ろしいことです。たったこれだけの仮定からスタートして、あとは適切な式変形をすることで各公式が導かれていくのです。
ともかく、物体の運動に関する真実を記述するために力学は生まれてきました。
電磁気学の主張
一方で電磁気学では電場と磁場の作用を調べあげることで、物体のような目に見えるものではなく、「場」という概念を持って物理学を構成することに成功しました。
まずは電場のことを調べ、次に磁場のことを調べるという形で研究は進みましたが、これらは切っても切り離せない関係で、実は電場と磁場は互いに作用しあうことが分かりました。
電場と磁場にまつわる性質を調べあげた結果、これらには4つの法則があることが分かりました。それがマクスウェルの方程式と呼ばれるもので記述されており、それぞれの解釈は以下のとおりです。
1.磁束保存の式
磁場には起点も終点もない(電場に対する電荷のように、磁場に対する磁荷の存在が期待されていたが、磁荷は存在しないことを示唆する)。
2.ファラデー・マクスウェルの式
有名な電磁誘導の法則(ファラデーの法則)を定式化したもの。コイルの中で磁石を動かすと電流が流れるあの有名な法則。
3.ガウス・マクスウェルの式
電荷を起点とし電場が発生することを示しており、強度が二乗距離に逆比例する俗に言うクーロンの法則です。
4.アンペール・マクスウェルの式
電流によって磁場が生じるアンペールの法則に対して、電場の時間変化も磁場を生じさせることを加えた式です。
当然、磁場や電場も物体に対して何らかの力学的な作用を及ぼすため、力学と電磁気学が合わさって多くの解析が行えるようになりました。
特に、電磁気学は、それまで個別のものだと思われていた「光」が電磁波であることを予言し、後に相対論の基礎となります(基礎となったというより、後から気づいた。結果相対論の否定は電磁気学という一大分野の帰結を否定しなければならないとされる)。
2つの物理学から導かれる結果
物理学は少ない法則で現象を予言できる科学界の重鎮的存在です。
物理の適用範囲は次第に広がっていき、物理学が小さい物質を解析対象にし始めた頃におかしなことが発見されるようになりました。具体的には化学です。
化学では元素と元素、化合物と化合物などの化学反応を研究対象します。
化学反応は突き詰めれば「電子の受け渡しや共有」によって行われますので、物質を物理的なモデルで考え、電子の動きを予言できれば化学反応も扱えると考えられます。
しかし、実際には化学ではというとんでもない数を扱うため、到底厳密な物理でこれを解析的に扱うのは困難でした(だからこそ化学という分野がある)。
それでも物質の根本的な性質を明らかにしようと、まずは原子核1つ、電子が1つの水素をモデル化することから始めることになりました。
当時は原子核の周りを電子が回っていると考えられていたため、単純にこの運動を解析することを考えます。原子核は正の電荷を持ち、電子は負の電荷を持つため、普通に考えれば初速度さえあれば上手く円運動をすることが考えられました。力学だけを考えるならばそれで終わりです。
しかし電荷が円運動するというのは、加速度運動をしているということです(加速度は原子核方向)。電磁気学によれば、電荷が加速度運動を伴う場合は電磁波を放出することが知られていました。つまり、もしも原子核の周りを電子が回っているのならば、電子は電磁波を放出しエネルギーを失い、速度が低下し、回転半径が小さくなり、やがて原子核と衝突するはずなのです。
しかし、そんなことは絶対に起こりませんでした。
力学と電磁気学は早くも電子の運動を記述することに失敗しました。現実に起こっていることを記述するためには、何か法則が足らないということです。
エネルギーの量子化
まず重要なこととして、電子は原子核のある一定半径内には近づかなかったのです。
そこに無限とも言える大きな壁があるかのように、絶対にそれ以上は電子は近づきません。
そして、よく観察すると、電子の回転運動の半径は連続的には変化しなかったのです。
普通緩やかに半径は変化しそうですが、極端な表現をすると「5→4」のような離散的な変化をしていたのです。ここで一つ現れた仮説が、「電子は波である」というものです。もしも電子が波として運動していたのであれば、回転して一周戻ってくるときに周期がピッタリ一致するように運動するのではないかという予想です。
つまり回転の円周が波長の整数倍になっているという予想で
(は自然数)
という具合でしか半径を取らないのではないかという発想です。
実はここに至ったのには、波だと思われていた光が、粒子としての性質を持つことが明らかにされたという影響があります。そもそも「波や粒子」というものが全く個別のものではないと考えられるようになってきた時代でした。
電子は数えることができるため粒子です。
ですから、電子が1個と電子が2個ではエネルギーを明確に数えて計算できます。
光は波ですから、その振幅に応じてエネルギーが連続的に変化すると考えられていましたが、エネルギーを電子と同じように明確に数えることができると分かりました(コンプトン効果)。このような性質を持って「光を粒子である」と言います。
実際には「光や電子が数えられるからエネルギーも数えられる」という考えにとどまりませんでした。「エネルギーは本質的に離散的である」と考えられるようになったのです。
このように数えられる最小単位を量子と言い、連続的だった概念を量子の解釈にすることを量子化と言います(信号処理などで波形を量子化するというのはここから来ている)。
電子が波である根拠
光が波であり粒子であるという概念に誘起され、電子が粒子であり波であるという考えは強まってきました。しかし、まだ水素の周りを回る電子に対してコジツケのアイデアという印象が拭いきれません。
しかし「二重スリット実験」によってそれは確信へと変わります。
「ヤングの実験」では光が2つの穴を通った先で干渉を起こし、縞模様を発生させることが知られていました。そしてそれは光が波だからこそ起こることです。
同じように電子でも干渉という現象が起こることが発見されたのです。
ヤングの実験
電子の二重スリット実験
この二重スリット実験にはいちゃもんを付けたくなります。
電子がスリットの間を抜けるときに、どこかにぶつかって軌道が変わるとすれば、それが統計的に縞模様を作り出しているのではないか?という発想です。
もしもこの理屈が正当であるならば、二重スリットでなく、1つのスリット(二重スリットの片方を塞ぐ)で同じ実験をしても片方にだけ縞模様ができるはずです。
しかし実際には縞模様はできないどころか、普通の力学に従い電子はスクリーンに到達するのです。二重スリットで初めて干渉ということが起こります。これは波であると認めざるを得ません。
重要な解釈
ここで重要なのは、
「電子を複数発射すると、それらが互いに干渉する」のではない
ということです。
「電子を1つ発射すると、1つの電子が干渉し合う」のです。
言い換えると
「電子を1つ発射すると、電子は両方のスリットを通り抜けて、干渉し合う」のです。
ここが量子論の概念の壁最大の山場です。このことが納得いかず、多くの物理学者が反証を挙げようと挑みました。
この部分にこだわり過ぎると生涯を無駄にすると言われています(なぜなら一生分からないから)。量子物理学でノーベル賞を獲得したファインマンは「量子物理が分かる人なんてどこにもいない」と述べています。
ともかく哲学的な考えはさておいて、このことを認めざるを得ない結果がたくさん出ているということを理解しておいてください。
この事実に反旗を翻した思考実験が、かの有名な「シュレーディンガーの猫」です。
波と粒子の二重性を認めた後
光も電子も波と粒子の性質を両方併せ持つことが分かりました。
電子が波であることを認めたならば、とにかく水素のモデルで半径が離散的に現れるという事実を説明できる方程式が必要でした。
すなわち、ある方程式を解いたならば、半径が離散的な解になるようでなければいけないのです。
古典力学と電磁気学、これまでに得られているどの物理学でもその解は導けませんでした。
なにか新しい物理が必要になります。それが量子力学であり、その基礎方程式が「シュレーディンガーの波動方程式」です。
一節によると、シュレーディンガーは優れた数理物理学者で、日頃から手で微分方程式を解きまくっていたそうです。そんな彼は、実験的に得られている水素の周りを回る電子の半径が解になるような微分方程式(数理モデル)が思いついてしまったそうです。何かを解いていったらその解が得られたのではなく、長年の経験と勘で当ててしまったという脅威の逸話です。
その後、しっかりと論文では体裁を整えて、シュレーディンガーの波動方程式はハミルトン・ヤコビの方程式から導かれたそうです。
シュレーディンガーの方程式が示すもの
シュレーディンガーの方程式は以下のような形です。
まあ、細かいことはどうでもいいのですが、ともかく関数を求める固有方程式になっています(量子力学が線形代数の無限次元への拡張である関数解析学を発展させた)。
仮に解が求まったとして、それへの解釈が再び、ひと悶着を起こします。
に相当する物理的な実体はなく、これの二乗であるに意味が有りました。
はある現象を複数回実験した時の起こりうる割合に一致していたのです(要するに確率)。
しかし、を確率とは解釈したくありませんでした。
なぜなら物理学はこれまで完璧に現象を予言してきたからです。それがまさか方程式を解いた結果確率しかわかんないなんてフザケンナって話です。
しかし、量子力学の主張するとは「確率しかわからない」のではないのです。
「確率しかわからない」なんて言い方だと、あたかも物体はある1つの現象を実現しているのに、方程式はそのどれが起こるのかの確率しか計算できないみたいな言い方になってしまいます。
実際には、物体はある現象のすべてを実現しており、観測したときには1つに決まるというのです。
つまりが得られた時、正の値を持つ全ての現象が「起こっている」のです。
二重スリット実験で言えば、一つの電子が壁の向こう側に行く際に、穴Aを通るということを実現しつつ、穴Bを通るということを実現しているのです。
方程式を考案したシュレーディンガーもこの解釈にはビックリしました。この段階で、シュレディンガーの猫が主張されたという流れです。
は波の形をしており、これらが何らかの値を持っている限り、その二乗も何らかの値を持ちます。
複数の現象によってが構成されているとすれば
であり、もも実際に実現しているということです。
トンネル効果
もしも目の前にかなり高い坂道があったとしましょう。
そこにボールを転がした場合、坂道を登り切って向こう側に行くかどうかは、古典力学の範疇では正確に計算ができます。ようするに運動エネルギーが坂道の位置エネルギーより大きいか否かです。
電場という坂道を、電荷が登る現象を考えるとこれとは全く違うことが起こります。
エネルギー的に全くもって到底超えられない電場の坂を登り切って、向こう側に言ってしまうことがあるのです。通常これをトンネル効果と言います。
まるでポテンシャルの壁をすり抜けたかのように行ってしまうのです。
そして、そのような現象をシュレーディンガー方程式で解析すると、坂道の向こう側にいるという現象が確かに値を持ち、その二乗の割合だけトンネル効果が起こるのです。
これも解釈としては、坂道を乗り越えられないという現象と坂道を乗り越えるという現象が両方重ね合わさった状態で実現しており、観測をしたときにはどちらか1つに決まっているのです。
重ね重ね言いますが、どちらか一方に決まっていて、その確率をで計算できるということではありません。
観測するまではどちらも実現しているのです。
量子コンピュータ
量子力学の概念を嫌というほど刷り込めば、量子コンピュータが目指しているものがわかってきます。量子コンピュータは大きく分けて、量子アニーリング方式と、量子ゲート方式があるので1つずつ見て行きましょう。
量子アニーリング方式
トンネル効果に相当する現象を利用するのがアニーリング方式です。
最適化問題を勾配法で解く際の困難は、鞍点に捕まったり局所最適解に捕まることです。
損失関数が一番低くなるところに行きたいのですが、勾配法では今より少しでも低いところに逐次移動していってしまうため、坂道の向こう側にある最適解には到達できません。
しかしトンネル効果のような現象を使えば、坂道を乗り越えて(あるいは通り抜けて)最適解にたどり着くという現象が確率的に起こるのです。
発想はシミュレーテッドアニーリングと(イジングモデル、ボルツマンマシンなどに対する汎用最適化アルゴリズム。めちゃくちゃ遅い)同様ですが、量子アニーリングでは物理モデルを実際に使うので計算は速い(ハードで計算)です。
最適化問題に応じた物理モデルを作るプロセスがプログラミングに相当してきます。
実はこちらのタイプの量子コンピュータは既に開発されています。
D-WAVEシステム
基本的には最適化を解くための物理シミュレーションマシンというところであり、ノイマン型のコンピュータに代わるものではありません(Youtubeとかは見れないです)。
量子ゲート方式
打って変わってこちらはノイマン型のコンピュータに代わりうる代物です。
普通の電子回路で構成した論理回路を、量子的な振る舞いをする回路に変更するものです。
たとえばある命令を実現する時に、コンピュータはそれに対応した論理回路の状態を取ります。
量子コンピュータもある命令を実現するときに、それに対応した回路の状態を取る必要がありますが、量子力学での振る舞いを思い出してください。「観測するまでは全ての現象が実現している」のです。つまり、命令が複数あったとしたら、それらを順番に処理する必要はなく、全ての処理に対応する量子状態が同時に実現します。
「まてまて観測したら結局1つに収まってしまうじゃないか」というところがありまして、それは波動関数を上手く制御することで必要な処理に収束させるという方法を取ります。
例えばRSA暗号の解読では、素因数分解が必要ですが、無数にある数字の組み合わせのうち解は1つです。たくさんのパターンを順番に計算するのではなく、すべてのパターンを計算して素因数分解が成功した処理だけ取り出すアルゴリズムがあれば良いことになります。
問題は量子状態はすぐに壊れます(要するにちょっとしたことで観測されたことになる)ので、制御がとてつもなく難しいということと、RSA暗号の例のように、目的に応じたアルゴリズムが必要になります。
なんだか素因数分解と量子シミュレーション,および線形代数の一部の演算に限られているそうです。他の処理も汎用的にできますが、従来のコンピュータを上回る性能はでなさそうです。
分野じゃない話なので、間違いがありましたらご指摘ください。
紹介
機械学習高速化の実用的手段
以下の本、とても楽しく読めます。
「量子論」を楽しむ本―ミクロの世界から宇宙まで最先端物理学が図解でわかる! (PHP文庫)
- 作者: 佐藤勝彦
- 出版社/メーカー: PHP研究所
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物理の勉強した時読んでいた本